【温泉の歴史と文化】第2回のテーマは「温泉地で生まれた小説」です。前回の記事では温泉の発祥や温泉マークの歴史などについて解説しました。今回は温泉地で生まれた小説ついて説明します!
文豪と温泉の関係
文豪とは
文豪とは、文学や文章の大家であり、日本には芥川龍之介、太宰治、夏目漱石といったきわめてすぐれた作家が存在します。これらの作家は日本三大文豪として知られ、多くのメディアで紹介されています。また、教科書には「羅生門」「走れメロス」「夢十夜」といった作品が掲載され、これらも文学史において外すことのできない重要な作品です。文豪たちが残した作品は、日本文学史上において大きな影響を与え、今なお多くの人々に愛されています。
なぜ文豪は温泉地に逗留するのか
文豪たちは、温泉地での滞在が彼らの作品にインスピレーションを与えることを発見してきました。また、リラックスやストレス解消を促進し、健康的なライフスタイルを維持できることも重要な要因の一つだと考えられます。さらに、温泉地には文化や歴史があるため、そこからアイデアを得ることもできます。つまり、文豪が温泉地に逗留するのは、作品にインスピレーションを与え、健康的なライフスタイルを維持でき、文化や歴史からアイデアを得るためだと考えられます。
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温泉地で生まれた小説・詩 6選
① 島崎藤村「千曲川旅情の詩」|中棚荘
中棚荘は長野県小諸市に位置し、明治時代の文豪である島崎藤村ゆかりの温泉宿です。島崎藤村は中棚鉱泉(現在の中棚荘大正館)に滞在し、『千曲川旅情の詩』を執筆しました。大正館の部屋の名前は、詩の言葉から命名されています。また、10月から5月には、島崎藤村の小説『初恋』にちなんで、湯船に地元のりんごを浮かべた『初恋りんご風呂』が楽しめます。中棚荘は、島崎藤村文学に触れることができる貴重な温泉宿です。
② 川端康成「伊豆の踊子」|湯ヶ島温泉 湯本館
静岡県伊豆市にある湯ヶ島温泉 湯本館は、文豪川端康成が小説「伊豆の踊子」を執筆した宿で、狩野川の川岸に位置しています。川端康成が宿泊した部屋は「川端さん」と呼ばれ、当時のまま保存されており、貴重な資料として川端康成や梶井基次郎など多くの文人の展示物もあります。また、湯ヶ島温泉はすべて天然温泉100%の源泉掛け流しで、上質な温泉をお楽しみいただけます。
「伊豆の踊子」は大正11年、私が22歳の7月、伊豆湯ヶ島温泉の湯本館で書いた、「湯ヶ島の思い出」という107枚の草稿から、踊り子の思い出の部分だけを大正15年、26歳の時に書き直したものである。「伊豆の踊子」と旅をした翌年、私は神経痛をわずらって、湯ヶ島の湯本館へ療養に行った。湯本館の湯は冷える方で、神経痛には向かないと後で知ったが、その時は1週間ほどで治った。それから昭和2年まで10年の間、私は湯ヶ島にいかない年はなく、大正13年に大学を出てからの3,4年は湯本館での滞在が、半年あるいは1年以上に長びいた。「文藝時代」のころは、私は東京に定まった家も宿もなくて、湯本館で暮らす方が多かったのである。若い身でよく山間のさびしい宿にいられたものと思う。しかし、「この湯ヶ島は今の私に第2の故郷と思われる。・・・ひきよせられるのは郷愁と異ならない。」と、私は「湯ヶ島での思い出」にも書いている。「去年の春、私が引き上げる時宿のおばあさんは、一人息子を遠い旅にやるようだと涙を流した。しかし私は秋にまた帰って来た。」
川端康成|岩波文庫「伊豆の踊子・温泉宿」あとがき
③ 川端康成「雪国」|雪国の宿 高半(かすみの間)
新潟県 越後湯沢湯元にある雪国の宿 高半は、文豪 川端康成が逗留し、名作『雪国』を執筆した場所です。実際に滞在したとされる「かすみの間」は、当時ままの姿で保存されています。また、高橋半六翁が偶然発見した名物温泉「卵の湯」は、約半世紀をかけて地下から湧き出た源泉を、循環・濾過せずに100%利用しており、源泉温度約43.5度の温泉を放流式で3時間ごとに交換し、清潔に保っています。赤ちゃんからお年寄りまで安心して入浴できるオススメの温泉旅館です。
④ 志賀直哉「城の崎にて」|城崎温泉 三木屋
兵庫県豊岡市にある城崎温泉 三木屋は、創業300年以上の歴史を持ち、小説の神様と呼ばれた文豪 志賀直哉の名作「城の崎にて」が生まれた温泉旅館です。白樺派の面々や柳田國男などの文人、山下清、小磯良平といった画人など多くの文化人が訪れたこの旅館は、現在も旧き良き温泉街に佇んでいます。
北但大震災により執筆当時の建物は倒壊しましたが、志賀直哉は昭和2年の再建以降、昭和30年代まで繰り返し訪れており、お気に入りの26号室は現在も当時のまま残されています。また宿泊者限定で「暗夜行路」に描かれた庭園を眺めることができます。
⑤ 田宮虎彦「銀心中」|鉛温泉 藤三旅館
岩手県花巻市に位置する鉛温泉藤三旅館は温泉が上質な秘湯宿としても有名ですが、作家 田宮虎彦が1ヶ月あまり滞在し、小説「銀心中」を執筆した場所としても知られています。田宮虎彦が泊まった三階部屋は玄関上にあります。
藤三旅館は、昭和16年に建てられた木造三階建ての建物で、独特の風格と風情を感じさせます。また、約600年前に発見された「白猿の湯」は、地下にあり、岩の間から透明のお湯が湧き出しています。この温泉は珍しい「立ち湯」として知られています。「白猿の湯」は、藤三旅館の先祖が白猿が湯船で手足の傷を癒しているのを目撃し、それが温泉であることを知ったことから「白猿の湯」と名付けられたといわれています。
⑥ 松本清張「Dの複合」|木津温泉 ゑびすや
木津温泉 ゑびすやは京都北部・丹後半島に位置する温泉旅館で、昭和時代のミステリー作家、松本清張が1965年に2か月間滞在して『Dの複合』を書き上げたことで知られています。木津温泉は、京都府内でも最も古い温泉であり、別名「しらさぎ温泉」とも呼ばれています。伝承によれば、奈良時代の僧侶行基がシラサギが傷を癒しているのを見て発見したとされています。1250年ほど前の天平の飢饉では、この丹後木津でも疫病が発生しましたが、行基が法力をふるって人々に温泉につかるよう説いたおかげで、この木津の地は疫病の難を逃れることができたとされています。
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【温泉の歴史と文化】温泉地で生まれた小説|文豪と温泉の関係 まとめ
今回は「温泉地で生まれた小説|文豪と温泉の関係」というテーマで、文豪と温泉の関係や温泉地で生まれた小説についてご紹介しました。温泉地は、日本文学において重要な役割を果たしてきました。多くの文豪たちが、温泉地で執筆に没頭したり、温泉の恵みに癒されながら作品を生み出しました。日本文学と温泉の深いつながりを感じていただけたでしょうか。